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沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第6回講座 上

第6回「沖縄の自治の新たな可能性」
構造改革の中の地方分権時代:沖縄と北海道から考える
北海道大学教授 山口 二郎 氏


 皆さん、こんばんは。島袋さんから随分詳しいご紹介がありましたが、雪の札幌から沖縄に飛んでまいりまして、この暑さにびっくりしております。

 この気温は、札幌ですと6月後半、7月ぐらいで、要するに夏の気温であります。つくづく日本という国は広いというか、多様だなということを実感いたしました。

 面積だけ見ますと日本は37万?で、アメリカのカリフォルニア州ぐらいしかないんだとよく言いますけれども、空間的な広がりを考えますと、稚内の北の端が北緯45度ぐらいで、八重山あたりが北緯25度ぐらいです。そうすると、緯度にして20度の開きがあるということですから、これは大変な広がりです。

 後のほうで、一国多制度をもとにした道州制の構想についてお話ししますけれども、実は日本という国は多様なんだということを改めて認識して、そこを活かした地方制度というか、自治の形づくりを構想する必要があると、改めて今日は痛感いたしました。

 今日は、この講演の前に島袋さんといろいろおしゃべりをして、自治研究会のこれまでの活動について、資料を拝見しておりました。

 先ほど島袋さんは、北海道の取り組みが沖縄にとってのモデルになったというようなことをおっしゃいましたけれども、自治に向けた取り組みというのは一筋縄、一本道ではないのです。実は、北海道も町村会という研究活動の事務局を引き受けてくれたところで、幹部の人が入れかわりますと途端に様子が変わりまして、今は土曜講座という自治体職員の勉強会というのか研究会を、有志による事務局で運営しいろいろと悪戦苦闘をしているというところであります。そういう意味では、島袋さんたちが中心になって沖縄でこういう充実した研究会をやり、さらには自治基本条例のモデルまでつくってこういう冊子を刊行するということで、このエネルギーに大変感銘を受けました。

 そういう意味で、むしろ今はこの沖縄の自治研究会のほうの活動ぶり、精力的な動きというのは、恐らく日本の中でも類例を見ないものではないかと思っております。

 今日は、小泉政権が進めようとしている構造改革、とりわけ三位一体と言われている地方分権改革が、実際どういう方向を目指そうとしているのかを批判的に検討した上で、これからの新しい自治の形について考えてみたいと思います。

 ただ、地方分権の問題のみならず日本の政治の仕組みそのものが、今非常に大きく変わろうとしているところでありまして、そういう意味で国政全体の状況について、まずお話をしておきたいと思います。

 皆さん方も沖縄におられれば、どうしても安全保障の問題については敏感になっておられるだろうと思います。やはり自衛隊をイラクに出すということが実現をした今、戦後、日本の大きな枠組みが変わっているということは確かだと思います。

 転換期という言葉は、今までいつの時代にも言われてきたわけですね。60年代には60年代の転換期という言葉があり、オイルショックあるいは80年代の臨調行革、さらにはバブル崩壊、冷戦崩壊等々、しょっちゅう転換期、転換期というふうに言ってきたのですけれども、私は、2003年から2004年というのは本当の転換期だと思います。

 わかりやすいエピソードと言いましょうか、事例みたいなところから話を始めれば、昨年の11月の総選挙で、中曽根、宮沢という戦後政治をずっと担ってきた大物政治家が引退をする。

 あるいはそれとは逆の方向で、護憲運動のシンボルであった土井さんが選挙の敗北の責任を取って社民党の党首を退く。

 さらには沖縄とも関係が深い自民党最大派閥というか自民党の政治そのものであった田中型、竹下型政治を継承していた野中さんも引退をするという世代交代がおこりました。

 人の面から見ても、今、日本の政治というのは大きな代がわりの時期を迎えています。これは、単に人が入れ代わっただけではありませんで、これらの政治家が担ってきた、あるいは体現してきた政策なり理念なりというものが、今大きく崩れてきているということなのだろうと思います。

 例えば、宮沢、中曽根、土井の引退ないし退場と。これはやっぱり日本の対外政策、安全保障の基本的枠組みの変化を物語るエピソードですね。今日は、安全保障の話が主ではないのですが、やっぱりイラク派兵というとんでもない事態を前にして、ひと言私も言わざるを得ません。

 今までは、字義どおり憲法9条を解釈していく、いわゆる護憲派的な声というのは決して多数派ではなかったのですが、それでも政府を動かしていく指導者の側にも憲法9条の理念なり価値というものは、それなりに尊重されてきたわけです。

 だから、護憲派から見れば物足りないとはいえ、やはり憲法9条があるからこそ、日本は専守防衛という枠組みのもとで最小限の自衛力を持つという理屈を立ててきた。その中で自衛隊の存在が正当化されてきたわけです。あるいは、そういった必要最小限度の自衛力を超える事態への対応は日米安保体制に委ねるということで、日米安保というものはもっぱら日本の安全を守るための枠組みであったということであります。

 もちろん、こういう議論は、本土の我々がのんきに言っているのと、実際に基地の重圧を日々感じている沖縄の人々とでは受けとめ方が違うのかもしれませんが、一応9条の制約というものをみんなそれなりに正面から受けとめて、日本なりのよりハト派的と言うのでしょうか、要するに戦争はやってはいかん、あるいは軍事力というのはあんまり使っちゃいかん、軍事力でもって、武力の行使でもって国際的な問題を解決できるということはあんまりないんだという教訓として、憲法9条というのはそれなりに日本の政治全体に重く受けとめられてきたわけです。

 宮沢さんという人は、そういう理念を一生懸命守ってきた方ですね。
 中曽根さんという人は、むしろそういう枠組みに挑戦をしながらもっと日本の政治、軍事的な面での役割を拡大しようという努力をしてきた。しかし、それが十分果たせないまま終わってしまったと、そういう立場ですね。

 土井さんという人は、より純粋な憲法を字義どおり理解をして、いつも軍備の増強というのか、防衛力の強化あるいは日米安保体制の深化に対して反対をしてきたと。そういう字義どおり純粋に憲法を読み、擁護しようという人たちのエネルギーがあったからこそ、政府の指導者たちも、あんまり日本は軍事的に突出してはいかんという縛りを自らにかけることになったわけであります。

 そういう大枠が、今回のイラク派兵によって崩されてしまった。その兆候は既に安保再定義、ガイドライン、そして有事法制とあったわけですけれども、今回は本当に決定的に戦後の安全保障の枠組みは崩されてしまったということです。私たちはこの後どのように世界の中で生きていくのかということを、改めて問われているという状況であります。

 私は、小泉という人を政治家として許せないと思います。ある種はっきりしたビジョンというか彼なりの価値観というものを示した上で、安全保障政策の大枠を転換するのだというならば、これはそれで一つの政治家の立場でありまして、国民の多数がそれをよしとするのであれば、これはしょうがないとは思います。

 しかしながら今回の転換というのは、転換であるのか、ないのか。彼自身、明確な説明をしていない。イラク特措法の国会審議のときにもあらわれておりまして、全く説明を拒否した。結局何かあったときにアメリカが助けてくれないと困るから、常にアメリカの後をついていくしかないのだという、ある種、思考停止状態を開き直ると、政治家として最もやってはいけない恥ずべきことを平気でやってのけて、安全保障の転換をしているという状況であります。

 それから、内政のほうですけれども、これもやっぱり大きく枠組みが崩れてきています。野中さんという人はさっきも言ったみたいに、田中政治、経世会政治というのを最後まで引き継いできた政治家ですね。しかし、昨年の9月の自民党総裁選で橋本派が割れて、野中さんは不本意な引退を余儀なくされたわけであります。

 これは、単に政治家同士のけんかという話ではないわけであります。やはり戦後の、特に高度経済成長の時代以降に全面的にフル回転してきた田中派政治、つまり利益再配分の政治というものが行き詰まったということ、あるいはレジュメの言葉で言えば、集権的開発主義が行き詰まったということを示しているわけであります。

 つまり、公共事業を中心とした中央から地方への再配分というものを通して地域の格差というものを縮小・是正していく、あるいはどこに生まれても人々が一定の生活ができるように、環境、条件を整備し、地域において雇用をつくり、所得水準を上げていくという、そういう一連の政策の体系というものが、国内政治においては最も重要な枠組みであったわけです。

 ところが、これがいろいろな事情で崩れてきたということです。その辺の事情はまた後で詳しくお話いたしますが、小泉政権の構造改革というものは、まさにこの田中派型政治の否定です。これは本人もはっきり言っています。小泉さんという人は、理念はあまりないけれども、田中派政治を倒すということだけは割とはっきりした使命感を持っているわけであります。

 その中で、公共事業、道路公団の問題、郵政の問題など、いろいろな各論が出てきているところであります。そして、この田中派型政治というものは、地方にとっても、特に沖縄、北海道という日本列島の周辺にある地域にとっては、大変重要な意味を持ったわけです。何と言っても北海道選出の鈴木宗男という人は、沖縄にも随分深く食い込んで公共事業の配分を差配していたわけです。

 つまり、遠くにあっていろいろな意味でハンディキャップがあるからこ
そ、国はそれなりに手厚く地域振興の政策をとってくれた。その恩恵に浴してきたということは確かなことでありまして、そういう田中派型政治というものがグラグラと崩れていく中で、実は地方分権というシンボルもうまく利用されているということです。要するに、我々が今まで要求してきた、主張してきた地方分権とはかなり違った意味で、つまり田中派型政治、地域の面倒を見る政治の崩壊という文脈の中で地方分権というものが出てきたということです。一応、予告編的に言えばそういう話になります。

 内政、外交ともに大きな枠組みが本当に崩壊しようとしている今、私たちは一体どのように未来を構想していくのかということが、改めて問われているという現状であります。

 私は、どっちかというと悲観的にものを考える、悲観的な文章を書くことのほうが多いですね。さっき伺いましたら、松下圭一先生なんかが最初の方お出でになったそうですね。松下圭一先生とか、あるいは篠原一先生なんていうのは、日本の政治学においては楽観教の教祖でありまして、ともかく市民の力がどんどん強まっている、デモクラシーが前進している。そういう明るい未来に向けてみんなが進んでいるというストーリーをお書きになられます。

 松下先生もそうですし、篠原先生がつい最近お書きになった岩波新書の「市民の政治学」という本を拝見しますと、なるほどやっぱり市民の力というのは大きくなっているのだなということを、悲観的なことを考える私も納得させられます。

 ですから、常に楽観的であることというのは、政治学者にとっては非常に重要な美徳だなということを感じるわけです。

 私は未熟にして、どっちかというと悲観教の教祖でありまして、特に90年代の初めごろ、非自民細川政権ができたころは、これは日本の政治はよくなると思って、一生懸命、鐘太鼓をたたいて改革を論じたわけです。その後、村山政権のころからだんだんおかしくなってきて、もう自民党が政権に戻ってからというものはどんどん悪くなる一方だという悲観的なことばかり言ってきて、悲観教の教祖だと自分でも自称しているわけです。

 しかし、物事は常に両面があると思います。今言ったみたいに、小泉政権のもとで全く何のビジョン、何の理念も持たないままに、なし崩しに今までの枠組みを崩されてきている。恐らくそれは、悪い方向に向けた憲法改正みたいな話になっていく危険性が大きい。そういう意味では、全く楽観はできないわけです。しかし他方で、日本の民主主義をさらに進めていく、あるいは日本の市民社会を強化していくことについては、チャンスも広がっていると言えなくもないと思います。

 だから、危機の「機」と機会の「機」というのは同じ字があるわけなので、悪ければ危機になるし、よければ機会になるということなのでしょう。

 さっきから言っているように、地方に対して随分親切に世話をやいてくれた田中派型政治というものが崩れていくということは、確かに心細いというか、もっとぶっちゃけたことを言えば、懐が非常にさびしくなって、大丈夫かなとお金の面での心配が募るわけです。 しかし、考えようによっては、押しつけられた親切とか、お節介な、干渉するようなタイプの親切よりは、多少冷たくても自由にさせてくれるほうがいいのかもしれない。これから地方の問題を考えていく上では、そういう基本的なスタンスで考える必要があるのかもしれません。

 それで、日本の政治の全般的な状況という話はこれくらいにいたしますけれども、もうひと言だけ、日本の世の中の危機的な状況ということについて申し上げておきます。

 今の日本というものをいきなり「ファシズムだ」というふうに呼ぶと、これはいささか誇張、オーバーな表現だということになるのかもしれません。しかし、最近の政治の論議を見ておりますと、やっぱりファシズムにつながる兆候みたいなものを私は感じます。

 ジョージ・オーウェルというイギリスの小説家が書いた「1984」という小説があります。このオーウェルの小説は、近未来の究極の全体主義国家における支配の有様を描いて、その中で素朴な疑問を持った一市民が、どういうふうにして圧殺されていくかということを描いたものです。

 この「1984」の中に、全体主義国家の支配政党のスローガンとして、「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である」、という3箇条が掲げられています。

 オーウェルは何でそんなことを言ったのか。結局、「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である」、そういう矛盾したことを平然と受け入れているところにファシズムの一番の要と言いますか、要点があるということを言いたかったのだろうと思うのです。オーウェルというのは、別のエッセーでも「言葉の堕落というのは政治の堕落だ」と言っているわけです。

 我々は普通の状態であれば、「戦争は平和だ、無知は力だ」と言われれば、変なことを言うなという矛盾に対して反発をする姿勢、感性を持っています。

 矛盾を発見したら、やっぱりそれは是正すべきだとまともな人は感じます。例えば政治家が思うはずです。口で言っていることと実際やっていることが違うんだったら、それはおかしいよと。言っていることとやっていることを一致させなさいというふうに思いますよね。

 だから、そうやって矛盾したことに対してこれはおかしいよと言うことが、民主政治の一番の基本だと思います。逆に言えば、矛盾したことを平然とやる、また一般の市民も矛盾したことを見てそれをおかしいと思わない、矛盾と思わないということになると、そこにファシズムというものが始まる。これが、オーウェルの小説の教えだということです。

 最近の日本の政治を見てみますと、やっぱり論理の放棄、言葉の放棄というのが目立ちます。さっきもちょっと言いましたが、イラク特措法の審議の中でも、小泉さんは全く開き直りというのか説明を拒否して、恬として恥じないわけです。私たちは、そういう光景を何度も見たわけです。

 権力者がそのように矛盾を矛盾として恥じない、あるいは開き直るということをされますと、一般市民の側も何か感覚が麻痺してしまう。そのうちに、矛盾を矛盾と感じる人のほうが孤立してしまう。その矛盾をおかしいと思うこと自体が何かおかしいじゃないかと、正常な感覚を持った人たちが孤立化してしまう。あるいは他の人に対して「あれはおかしいよね」ということがなかなか言えなくなってしまう。これこそがファシズムの始まりであります。

 今の日本を見ていますと、もちろん外交の面で言えば、イラクの中に戦闘地域ではない場所があるから、そこに自衛隊を出して復興支援活動をするというとんでもない虚構をでっち上げて実際に先遣隊を派遣したという、そういう矛盾がまかり通っている。

 国内の政治においても「構造改革」などという、非常によくわからない漠然とした言葉が錦の御旗みたいに使われている。そして官から民へとか、中央から地方へという一見もっともらしいスローガンのもとで、いろいろな政策転換がなされようとしています。そういうもっともらしい言葉で、いろいろな政策転換が大した吟味もなくまかり通ってしまうという状況は、大変な危機ではないかと思います。

 そういう意味で、現状は決して楽観できないし、特に政治の場で語られる言葉の意味ということについて、問い直す、詮索するということを、私たちはめげずに続けていかなければいけないと強く感じました。

 それから、世の中景気が少しよくなってきたということが言われています。経済成長率も、年率に換算すると7%ぐらいになるような回復を示しているというニュースが、ついこの間ありました。これも、やっぱり実感からはかけ離れているわけです。特に北海道と沖縄というのはそうだろうと思います。

 結局、日本の社会あるいは経済が非常に二極分化している。抽象的な数字だけ見て何となくよくなっているというようなことを言われておりますけれども、普通の人たちにとって全然よくなってない。とりわけ若い人たちの雇用の問題、あるいは若い人たちがこれから人生を生きるモデルみたいなものが、今見あたらなくなっている困った状況であります。

 そういう中で、公的部門の果すべき役割というものが依然として大きいはずですが、小泉政権というのは権力者自身が、政府の指導者自身が、政府の能力の限界、あるいは公的セクターの限界を必死になって主張する、批判するという矛盾した政権です。そして国民に対して、政府に対する期待を引き下げるという形で政策論議をしているという状況であります。

 もう少し地方に引き寄せて最近の変化を見ていきたいと思います。

 小泉政権が政府の能力なり公的セクターの役割、有効性というものについて否定的なことばかり言っているということを申し上げましたが、確かに一面においてはそういった現実があるわけです。バブルがはじけてから、随分とたくさんのお金をつぎ込んで景気対策をやってきたけれども、あんまりよくなったという実感が持てないということです。

 バブルがはじけてから10年ほどの間に、累計で言えば140兆円になんなんとするような景気対策が行われてまいりました。しかしながら、痛み止めの役割はあったのかもしれないけれども、未来に向けて地域社会や経済を引っ張っていくような新しい産業が生まれたわけでもないし、目に見えた成果が上がってないという状況であります。

 むしろ日本中どこの地方へ行きましても、例えば札幌とか福岡みたいな地域の拠点になる政令指定都市はまだましですけれども、それよりも規模の小さい人口50万人から下の都市にいきますと、どこも大変に疲弊している状況であります。

 これはなぜかということを考えてみたいと思います。結局バブル崩壊以後の景気対策は、地域のニーズ、地域の需要というものを受けとめて、地域の抱えている問題を解決するとか、あるいは地域のポテンシャルを引き出すような政策だったのではなくて、むしろ数字の上で予算を消化していく、役所がちゃんと仕事をしているということを示すために、政策が行われたという面のほうが強いのではないかというふうに思えるわけですね。

 特にさっき言った景気対策なんていうのは、多くの場合補正予算で行われたわけですね。補正予算というのは、まず最初に数字が決まる。例えば90年代半ば、93、94、95年あたりの、毎年のように10兆円単位の補正予算を組んで、緊急経済対策が行われて気ました。そうすると、まずそういう数字が先にできるわけですね。あとはそれを少し砕いていって、かつての役所の名前でいえば建設関係が幾ら、農水で幾ら、運輸で幾らという形で割り振りされる。さらにそれぞれの省の中で、建設の中でいえば道路で幾ら、河川で幾ら、都市基盤で幾らという形で砕いていくわけです。それに見合うように、各地から上がってきている要請・陳情の中で、これに金をつけようかなんて話になるのです。

 要するに、当初予算で採択されなかったような事業なんか大体筋が悪いものしか残ってない、それに補正予算で金をつけてかないと予算が消化できないという現実があります。そうなると大体地域にとっては、本当はどうでもいいような、とりあえずつき合いで出したような案件に金が回ってくるということがしょっちゅうあったわけです。

 本当に地域のニーズに根ざしたような政策に、的確に金が回ってくるなんていう仕組みにはなってなかったということです。そこに政策における需要と供給のミスマッチという問題が起ったわけであります。
 一昨年の今ごろは、鈴木宗男を巡るいろいろな騒動が世間を騒がせておりました。鈴木宗男の悪行の一つに、北海道のほうにわけのわからない道路をつくって、車なんかめったに通らないという、はなわの歌ではありませんけれども、車よりも熊のほうが通るような道路をつくったということが、テレビのニュースで盛んに報道されていました。これなんか、まさに供給が需要をつくり出すという一つの例です。とりわけ公共事業、もっといえば特定財源を持った道路関係というのは、供給量というのは非常に大きいわけです。

 実際に、地域にそういった需要があるかどうかは別にして、供給側で政策を実行するために需要を自らつくり出していく。地方から陳情、要請を上げさせるというような形で予算配分をしたと。
 その結果、車の通らない道路とか、水が余っているのにダムをつくるとか、減反をやっている片方で農業基盤整備をするとか、そういう形で仮想のというか、捏造された需要に基づく政策が、随分あちこちで展開されていったわけであります。

 他方、本当の需要というのは、なかなか政策に反映されていないという問題もあるわけです。つまり、一番わかりやすい例で言えば、少子化、高齢化があります。非常に早いスピードで高齢化が進んで、高齢者の介護という新しいタイプの政策需要がどんどんふくらんできました。

 国のほうでも、一応、介護保険という政策をつくって、その需要に答えようとはしているわけですが、いかんせん資金的な面でも足りない。だから、今度、介護保険の見直しで保険料の徴収範囲を広げるという話になってきています。あるいは、物的・人的な政策のキャパシティ、供給能力ということに関しても不十分である。そうすると、施設介護を利用しようと思っても順番待ちがある、介護のマンパワーも足りない。そういった問題があちこちで解決されていないわけです。あるいは、女性のライフスタイルが変わっていく。働きながら子供を育てる、家庭生活を営むということが一般的になっている。それに伴う需要はいろいろとあるわけでが、例えば保育所の待機児童みたいな問題が残されている。つまり、その面での政策の供給が全然足りないという問題が出ております。

 そういう政策における需要と供給のミスマッチという問題がどんどん広がっていく中で、結局、供給過多のほうにばかりみんな目を向ける。それで、要するに役所仕事は駄目だ、あるいは政府の能力の限界だということを盛んに言うようになったということだと思います。この問題をどのようにして是正するかということを考えますと、そこには本当の意味での地方分権という解決策しかないだろうと思います。

 私は、政治家性悪説に立っています。性悪説と言うとちょっと言い過ぎですけれども、政治家というのは選挙に当選するということを、常に第一の目的に考えて行動せざるを得ない生き物なのだというリアリズムからものを考えます。そうすると、国の役所に大きな財源がある、そして地方がその財源の配分を求めて一生懸命アクセスをしようとする。そこに政治家は、当然、自らのビジネスチャンスを見出すわけであります。

 したがって、中央と地方の間のパイプ役が媒介になって、予算を地方に流していくということが、政治家にとっての一番重要な仕事ということになっていきます。

 国という単位で、政策の需要と供給のミスマッチを是正するということ
は、はっきり言って絶望的であります。なぜかと言えば、政治家というのは今言ったみたいに、票とお金というものを求めて行動せざるを得ない宿命を負っている以上、大きな財源を持った役所と仲良くなって、それを自分の地元や支持してくれる業界に流すということをもっぱらやるという帰結になる。これは合理的な行動ということになるわけです。

 供給過多で役に立ってない政策はいっぱいあるとは言っても、そこにぶら下がって利益を得ている人たちは一定数いるわけですし、そういう人たちのほうが、えてして政治的には活発だということもあるわけで、なかなか供給過多の部分で供給力を減らして、その分のお金なり人手なりをよそへ回すなんてことは言いにくいわけであります。

 もう一つより根本的な問題を考えますと、国全体を見渡して、この分野はもう大体充足されたから優先順位を少し下げよう、この分野はまだまだ不十分だから優先順位を上げようというようなことが、本当に議論し決定できるかという問題があるわけです。

 これは言いかえますと、日本という国全体で見たときの共通の利益というのか、公共の利益をどうやって定義するかという話になります。この点はなかなか難しいわけで、やはり東京の人たちが考える公共の利益というものと、北海道の人が考える公共の利益というのは違うのです。それを戦わせることを通して何か合意を見つけることができるかというと、私は無理だと思います。

 だからさっきも冒頭、日本という国は広いんだということを申し上げましたけれども、ある程度地域に分けていかないと、共通の利益などというものは定義できないと思うのです。そういう意味で、地方分権が必要になってくると思うのです。

 とりわけ社会資本整備とか、いろいろな教育、福祉等、人に対するサービスを考えてみれば、ある程度地域を区切って分けて考えないと、何が共通の利益かなどということは意見が一致するはずがないわけであります。

 逆に言うと、ある程度狭い範囲の中でものを考える、市町村という基礎的な単位が一番いいでしょうけれども、狭い範囲の中で考えれば自分たちの住んでいるこの地域においては、例えば道路、下水道といった社会資本整備はもう大体一巡したと、これからはもうちょっと人に対するケアということで、介護や子供へのいろいろな教育を中心にやっていくべきだということが、実感としてわかるわけです。

 逆に、我が地域は、まだまだ下水道も道路も不十分だ、ここはやっぱり多少借金してでも、そういった投資的部分をやっておこうという話になるのかもしれない。いずれにしても生活実感をもとにして、政策の充足度みたいなことが議論できるという空間でもって、実際に資源配分をするということが、需要と供給のミスマッチを解消する決め手になるのだろうと思います。そういう意味で、地方分権というものが必要になります。

 なかなかそういう意味での、本来の地方分権というのは進みにくいわけですが、最近、地方政治の中では大きな変化が起っている。それは知事とか市長といった直接選ばれたリーダーが、ある意味では国の政策の縛りを乗り越えて、地域のニーズに根ざした資源配分を行おうとしているということですね。そういった面で、本来の意味での政治というものが地方であらわれているということであります。

 例えば、鳥取県の片山さんという知事。この人は自治省のお役人出身ですが、いわゆる改革派の知事の1人として注目を集めています。

 私が、鳥取県の片山知事の業績の中で最も感心したのは、地震の際の対策でした。何年か前に、鳥取県西部地震という地震が起きて結構な被害が出ました。鳥取というのはそもそも人口の少ないところなので、地震が起っても人命の被害というのはあんまりなかったわけですけれども、物的な損害は大きかった。

 従来の地震の対策と言えば、阪神・淡路の大震災のときに、個人の住宅に対する補償をすべきかどうかという大論争があったことを、皆さんもご記憶だろうと思いますが、個人の財産に対する補償はしないんだというのが、日本の法体系の根本的前提になっておりました。

 道路とか学校その他公共施設の復旧については、もちろん国のほうでいろいろと財政面での手当をしてくれるわけですが、個人のものはしょうがないというわけです。私有財産制だからあきらめなさいという理屈だったわけです。

 ところが、その片山さんは、県の独自政策として個人の財産補償に踏み切った。上限300万円まで出して、個人の住宅の再建を支援しているのです。そのときの理由に感心しました。道路の復旧をちゃんとやっても、家が壊れたままだったら人はもう戻ってこない、だからコミュニティーは崩壊するんだと片山さんは言いました。コミュニティーを守るという観点から言えば、やはり個人個人の家を復旧するということが非常に大事な政策になるんだと言って、国の従来の法体系を無視して県独自の政策で財産補償を行ったのです。

 他方、片山さんは、ダムなど大規模公共事業についても見直しをかけています。幾つかのものを撤退したということで、先ほどの私の言葉で言えば、需要と供給のマッチングを知事のリーダーシップで図ったということです。

 あるいは、長野県の田中康夫という人は、全国的にも大変有名でありまして、彼の「脱ダム宣言」も皆さんよくご存知だろうと思います。

 この「脱ダム宣言」も、単に公共事業を減らすんだという話ではないのです。つまり、大手ゼネコンが最も潤うような大規模公共事業を媒介とした資金の循環ではなくて、ミクロな公共事業によって、環境を保全しながらその地域の経済も潤していくという、そういう新しい政策の主張です。

 これは、北海道でも長野でもそうなのですが、大きな公共事業というのは、結局場所を貸すだけで、公共事業費というのは一旦地方に来るけれどもまた東京に戻っていくという構図があります。多分、沖縄でも似たようなものだろうと思うんですけれども。

 特に補助事業の場合、国が5割とか6割りとかいう金を出してくれる、地元が裏負担をする。要するに、大きな規模の事業になればなるほど、地域の小さな会社ではやれませんから、どうしても東京に本社を置く大きな会社が受注する。そうすると、国費負担分のお金はもとより、自治体で出している裏負担の部分の中からもかなりの部分を大企業が東京に持って帰るという構図がある。

 田中康夫は、長野県の税金で東京のゼネコンに仕送りをしているようなものだという言い方をしていましたが、実際そういう面があるわけですね。

 さっき鈴木宗男のことを言いましたけれども、北海道の公共事業というのもちょっとそういう面があるわけで、要するに用地買収が簡単だし、何分広いですから、事業消化が北海道は非常にはかどるわけです。だから、バブル崩壊以後の公共事業によって随分北海道にお金が降ってきた。

 しかし、そのことで事業費が全部地元に落ちたのではなくて、その大きな事業を受注したゼネコンが東京に持って帰っている部分が大きい。北海道というのは場所だけ貸して、東京から北海道へ一回公共事業費が来て、またゼネコンが東京へ持って帰るという大きな資金循環がそこに起ったというだけなのだという面もあるわけです。

 「脱ダム宣言」で、田中康夫は結局ダムをつくるのではなくて、森をもう一回復活させてちゃんと木を植え、また手入れをし、保水力の高い森を取り戻す、そのための小規模な事業を県内の中小の会社に請け負わせるというアイデアを示しました。こういう趣旨の政策が「脱ダム宣言」だったわけです。

 そういう形で、地域からは新しいタイプの政策の主張があらわれてきているということです。つまり、中央とのパイプを売り物にして大きなプロジェクトを国から引っ張ってくる知事・市長がいいのではなくて、独自のアイデアを持って、あるいは従来型の役所の常識を無視して、覆して、市民社会の常識を役所の中に吹き込むようなタイプのリーダーが望ましいと、こういうことになったわけであります。

 実際、地方においてそういう新しいタイプのリーダーを支える市民が、徐々に広がってきています。要するに、旧来の地縁・血縁とか、あるいは企業とか、各種の組織団体といったようなまとまりで、政治的に行動していくということは、近年どんどんすたれてきているわけです。むしろ人々は自分自身で考えてだれに投票するかを決めるということが、都市でも農村でも当たり前になってきている。

 そして、地方政治の基盤、地域における政治の再編成という現象も起ってきている。だから、改革派のリーダーを支えているのは、従来の保守・革新という対決の図式の革新陣営ではないわけですね。むしろ従来型の政策に飽き足らない企業家とか、農民とか、女性とかいろいろな人が集まってきている。

 長野県の場合は、旧来型の革新陣営とか、労働組合なんていうのは、むしろ古い体制の側にまわってしまっているという現実もあります。

 ちなみに北海道はどうかと言いますと、北海道というのは日本で最も55年体制の残滓が色濃く残っているところで、旧社会党総評ブロックの政治的力というのが、衰えたりといえどもまだまだ大きなものがあります。そうすると、なかなか市民派的なものというのは逆に出て来にくいという状況があるわけですね。そういう意味では、なかなか新しいタイプの改革派首長というのが出てきていないという状況であります。

 ともかくそういう面で、地域における政治の再編ということを見れば、一つの前途に向けた希望が見えてきます。問題は、こういう改革のエネルギーをもう少し広げていく、そしてもうちょっとはっきりした改革の理念を共有していくということです。或いははっきりした座標軸を持つということですね。

 改革と言えば、これから申しますように、小泉政権も「改革」ということをあきるぐらい繰り返してきております。あるいは、経済界も、エコノミストたちも、市場を中心とした改革論を出してきています。改革の中身をどういうふうに定義するかということが、今、非常に問われているところであります。

 結論を先取りして言えば、地方にとって、あるいは弱者にとって、とんでもない過酷な内容を持った改革が拍手喝采で迎えられるということも起こりつつある。だからこそ、改革の中身を吟味しなければいけない。また、改革の中の一つの重要な柱である地方分権ということについても吟味しなければいけないわけであります。


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